このサイトは画面解像度 800 x 600 および 全画面表示(F11) でごらんください。 再びF11で元にもどります。 |
丁度10年前の山行の思い出です。 福島県いわき市小名浜へ単身赴任していた時期で、会社の夏休みを利用して、新穂高温泉〜鏡平〜双六岳〜 三俣蓮華岳〜雲の平〜水晶岳〜野口五郎岳〜烏帽子岳〜高瀬ダム と3泊4日の欲張ったコースに挑戦した。 この裏銀座コースは、私が登山を始めて間もない時期の'57年の8月下旬に単独で歩いたことがある。その時は 今回とは逆に、七倉から歩き始め(高瀬ダムはまだ無かった)、北ア三大急登といわれるブナ立尾根を登り、疲労 困憊して烏帽子小屋にたどり着いた。(空身で烏帽子岳往復)。 翌日は台風接近の予報の中を、怪しい雲行きに追い立てられながら、そして眺望も全く効かない中をひたすら 歩きとおした。(当時は野口五郎小屋もなく、水晶小屋は廃墟同然だった) ワリモ乗越辺りから次第に風雨が 強まり、鷲羽岳山頂でガスの切れ間から一瞬だけ見えた鷲羽池のエメラルド色が印象的だった。 その夜の三俣蓮華小屋は地獄だった。台風が能登半島付近を通過したため夕刻から大荒れとなり、キャンプ中 の登山者も逃げ込んできたので小屋は超満員。上下交互に並べられ、その上横向きにして詰め込まれたので、 鼻先にとなりの人のくさい足がおしつけられ、息苦しくて口をパクパクさせながら、殆んど眠れずに一夜を過ごした。 翌朝は台風一過の快晴、たまたま小屋で一緒になった単独行氏と誘い合わせて雲の平を廻ってくることにした。 「北アルプスの秘境」のキャッチフレーズで紹介され始めたばかりの頃で、当然山小屋もまだなく、訪れる登山者 も少なくて、当日は数人の人と行き逢っただけだった。前夜の台風の雨で広い台地上に散在する池塘は全て満々 と水を湛え、周囲の山々の影を映して、秘境の名にふさわしい風景を見せてくれた。 雲の平で、半日を過ごしてから一旦三俣蓮華小屋にもどり、預けた荷物を担いで、その夜は前夜と打って変わった がら空きの双六小屋泊まり、さらに槍ヶ岳小屋(泊)、穂高小屋(泊)と縦走して、単独行氏と東京まで一緒の、二人 ずれの山旅だった。 さて、昔台風に追われて夢中で歩いた裏銀座を、今度は周りの風景を眺めながらゆっくり歩いてみたいし、槍ヶ岳 のビューポイントの鏡平から槍や穂高を眺めてみたいし、雲の平もに行ってみたいという女房の希望も入れて、冒頭 に記載した山行計画となった次第。 初めて利用した夜行バスでの睡眠不足がたたって、初日に双六小屋まで行くつもりが、鏡平で同行者がダウンした 遅れも、翌日頑張って挽回し、好天にも恵まれて予定したコースを全て踏破し、水晶岳では360度の眺望を満喫 することが出来て、収穫の多い山旅だった。 今回の行動記録を記した手帳を紛失してしまい、古い記憶を思い出しながら書いています。したがって時刻の記入は なく、また思い違いで実際と違う点があるかもしれませんがご容赦下さい。 写真も、アルバムに貼ったカラー写真からスキャナで取り込んだものなので、色調もピントも不本意なものばかり ですが、この点もあわせてご容赦ください。 |
第 1 日 | ||
今回、初めて山岳夜行バスを利用することとした。 前夜遅く単身赴任先から帰宅し、一日かけて準備をし早めの夕食を終えて、集合場所の都庁前広場に向かった。 22時出発、中央高速を走行中、談合坂SA、神坂PA(睡眠中に寝ぼけ眼で見たので?)でトイレ休憩、どこをどう走ったのか薄明るくなった頃目が覚めたら高根ダムの近くだった。 またうとうとしているうちに工事中の安房トンネルへの分岐を見送って、早朝の新穂高温泉に到着。若い頃、穂高・白出谷に入るため何回か来たことがあるが、当時と比べるときれいなホテルが立ち並び、すっかり様変わりしていた。 蒲田川左俣沿いの林道を進み、ワサビ平小屋を過ぎてしばらくで登山道にはいる。潅木の中を進み、秩父沢の冷たい水で汗で濡れた顔を洗い、大ノマ分岐手前では雪渓を踏んで、ここまではまずまずのペースで登ってきた。 大ノマ分岐から再び潅木帯の登りとなり、風も通らず蒸し暑い中を大汗をかいて登っている時、前夜の睡眠不足のせいか同行者が体調不良を訴え動けなくなった。顔面蒼白、脱力感、気のせいか脈拍も弱いようだった。道端に寝かせ、ポカリスエットをのませ、飴玉をなめさせしばらく休んでいるうちに少しずつ回復してきて一安心。30分ほど休ませて、そろそろ正午かという頃になって何とか鏡平まで頑張ろうとゆっくりゆっくり歩きはじめた。 鏡平小屋はまだ宿泊受付前だったが、外はカンカン照りで日陰がないので頼み込んで部屋の片隅で休ませてもらい、今日の予定は双六小屋泊まりだったがここで打ち切ることにした。しばらく寝かせいるうちに何とか回復したので、宿泊手続きを済ませた後、午後の数時間は鏡池の畔で槍や穂高を眺め、写真を撮りまくって過ごした。 |
![]() |
![]() |
新穂高温泉〜鏡平 |
鏡平 |
第 2 日 | ||
昨日の遅れを挽回するため真っ暗なうちに起き出し、インスタントスープと餅の雑煮で朝食を済ませ、明るくなるのを待って出発。同行者の体調もすっかり回復し、1ピッチ約1時間で稜線上に到着。あたりはガスに包まれて眺望は効かないが、ガスの中から現れる雪田やお花畑を縫って進む。双六小屋からの登山者に行き交うようになって間もなく、双六池とその直ぐ先の双六小屋が見え出した。その頃になってようやくガスが消え始め、周りの山並みが見えてきた。 遅発ちの登山者を見送りながら小屋前で休憩し、水筒の水を詰め替えて三俣蓮華に向かう。双六岳の肩まで登ってから、尾根道コースと別れ捲き道コースをとった。路傍には色とりどりの高山植物が今を盛りと咲き誇り、雪解け水がちょろちょろと流れる小沢をいくつか横切って行くと、2時間程で三俣蓮華岳の肩に到着。ここに荷物を置いて山頂まで往復した。 晴れてはいるが靄がかかって眺望はイマイチだが贅沢はいえない。槍や穂高は雲に隠れて姿を見せないが、直ぐ西方の黒部五郎、その右に北の俣岳、薬師、水晶、ワリモ、鷲羽と続く山並みをカメラに収めた。黒部川源流の谷を隔てて拡がる台地は雲の平、その中央付近に今日の宿、雲の平山荘が豆粒のように見えていた。 今日の目的地ははるか彼方。山頂での写真撮影もそこそこに先を急いだ。三俣蓮華小屋の脇から黒部源流へ下る道を辿りながら、コバイケイソウの大群落や、「黒部川水源地標」の石柱をカメラに収め、雪解け水が奔流となって流れ落ちる黒部源流に到着したのが正午ころだった。 流れの畔で昼食をとり、飛び石伝いに流れを渡って、ジグザグの道を登り返す。振り返ると先ほど通過した三俣蓮華小屋が鷲羽乗越の稜線上にポツンと赤い屋根をみせ、その先に今日始めて槍ヶ岳が姿を見せてくれた。 傾斜がゆるくなるとそこは雲の平、雪田の脇をとおり、祖父岳(じいだけ)の裾を捲き、キャンプ場を抜けていく。この間もハイマツや岩塊の点在する草原の先に、三俣蓮華、黒部五郎、薬師岳の峰々が端正な姿を見せてくれた。やがて池塘(水は枯れていた)を縫って付けられた木道を辿るとその先に雲の平山荘が待っていた。 山荘で宿泊手続きをすませ、ビールでのどを潤し、一休みしてから、アルプス庭園、ギリシャ庭園、奥日本庭園などと名づけられた台地上を散策し、山にいる幸せをかみしめながら、周囲の山々を カメラに収めた。 |
![]() |
![]() |
パノラマ | ![]() |
![]() |
![]() |
鏡平〜双六小屋 | 双六岳〜三俣蓮華岳 | 三俣蓮華岳山頂 | 黒部源流〜雲の平 | 雲の平・1 | 雲の平・2 |
第 3 日 | ||
今日の行程も長い。起きぬけで薄暗いうちに小屋を出発。しばらく歩いて身体が目覚めた頃キャンプ場に到着し、ここでインスタントラーメンと餅の朝食を作って無理やり胃袋に流し込んだ。今朝も霧が濃く、祖父岳の山頂では10m先も見えずそのまま素通りし、岩苔乗越で一休みする。 ここ岩苔乗越が黒部川最源流で、ここから流れ始めた一滴が、途中で多くの支流の水を集め、黒部湖、黒四ダムを経て、日本海に注ぐわけだ。この鞍部で源流と反対方向に流れ落ちる谷は岩苔小谷で、やがて雲の平の溶岩台地をぐるっと回り込んできた本流に合流するが、この谷沿いに秘境・高天原へのルートが下っている。 岩苔乗越で黒部源流を見下ろす写真を撮って出発.。ワリモ・鷲羽への分岐点に荷物を置いてワリモ岳まで往復。(鷲羽まで足を延ばすだけの時間の余裕がなく引き返した。) ワリモ乗越付近まで来ると、ようやくガスが完全に消えて、槍・穂高の峰々が青空をバックにその雄姿を連ねている様を遠望できた。ワリモ分岐からなだらかな道を1時間弱で水晶小屋に到着。 烏帽子小屋までの裏銀座縦走コースはまだまだ先が長いが、ここまで来たからには黒部源流の最高峰2,986m の水晶岳(黒岳)には登ってこようと小屋脇に荷物を置いて尾根を辿った。 快晴の山頂はまさに別天地だった。穂高だけは雲がかかっていて見えなかったが、360°の視界に入るのは全て北アルプスの峰々だけ。いま自分が北アルプスの真っ只中に居るんだという幸せが胸いっぱいにひろがった。パノラマ写真用に10数回のシャッターを押し、登頂の記念写真をとり、何時までもここに座っていたい誘惑を断ち切って山頂を後にした。 水晶小屋(赤岳)からの下りはこのコースで一番緊張するところだ。赤岳の崩壊の直ぐ脇につけられたザラザラの小石交じりの急傾斜の道を、滑らないよう一歩一歩慎重に降る。東沢乗越まで高度差150mを降り、その分を登り返して真砂岳。この間左手の東沢越しに先ほど登った水晶岳と、そこから右に続く尾根の先に赤牛岳が、谷底から山頂まで余すところなく端正な姿を見せていた。縦走路の右手には湯俣川を挟んで横たわる硫黄尾根、その上に聳える槍ヶ岳にはガスがかかって、穂先が見えたり隠れたり。真砂岳の手前のコルには雪渓が残っていて、残り少なくなった水筒に雪を詰め込んで飲料水を補給した。 水晶岳から眺めた真砂〜野口五郎〜三つ岳の縦走路は殆んど平らに見えていたが、実際に歩くとそうは問屋が卸さない。疲労がたまった身には特に山頂直下の登りは結構きびしかった。野口五郎岳(2,924.3m)山頂で居合わせた3人組と写真を撮り合い、野口五郎小屋は横目で見て先を急ぐ。 三つ岳の降りは白い砂のザラザラ道、登山道脇にはコマクサがあちらこちらに咲いていてカメラをむけた。 烏帽子小屋手前の最低鞍部にあるヒョウタン池に着いたのは、歩き始めてからすでに13時間が過ぎていた。口をきくのも億劫なほど疲れきって、そこから小屋までの僅かな登りのきつかったこと、 10年後の今でもはっきり覚えている。小屋について何はともあれ冷えたビールを流し込んで、やっと人心地がついた。 |
![]() |
自動スクロール パノラマ |
![]() |
![]() |
雲の平〜水晶岳 | 水晶岳山頂 | 水晶岳〜野口五郎岳 | 野口五郎岳〜烏帽子小屋 |
第 4 日 | ||
今日も真っ暗なうちに起きだしたが小雨が降っていた。晴れていれば烏帽子岳まで登ってくるつもりだったが、あきらめてそのまま下山することにした。自炊の朝食を済ませ5.30に出発する頃、小屋の早番の朝食が始まったところだった。 一面のガスで、小雨が降ったりやんだりする中、ブナ立尾根の樹林帯を足元を見つめてひたすら降る。そのうち上の方から人声が近づいてきて、我々が一服している横を5〜6人の若者パーティーが、「速いですねー」と挨拶を残してすごいスピードで追い越していった。どうやら前を行く我々に張り合ってスピードを上げてきたが、年寄りの二人連れで驚いたらしい。しばらく行くとさっきのパーティーが休んでいて、それから先はいつの間にか距離は離れたようで、最後まで姿は見えなかった。年寄りと張り合うのはやめたらしい。 北アルプスの三大バカ登り言われているだけあって傾斜がきつく、40年近く前に登った時のつらさを思い出した。特に尾根へ取り付いて直ぐの辺は、昔はなかった梯子やロープが付けられてはいたが、名前どおりの急傾斜で、「登りでなくてよかったネ」と顔を見合わせた。 尾根を降りきった右側の小渓流で顔を洗いのどを潤し、濁沢の白砂に付けられた踏み跡を辿ると、やがて長くて立派な不動沢吊橋を渡り、長い不動沢トンネルをくぐる。そしてトンネルを出たところは高瀬ダムの堰堤の上、9時には未だ間のある時刻で、丁度客待ちのタクシーが待っていた。 後から降ってきた単独行のおじさんと相乗りで信濃大町駅に無事帰着。駅で食べた立ち食いそばが美味かった。 |
![]() |
下山 |